渡邊・清水法律事務所

第8回 闘争のための戦略 ― 彼を知り己を知れば百戦殆からず

 大分更新を怠けてしまいました。

 今回は、「戦略」がテーマです。

 私がかつて所属していた事務所出身で、今でも血気盛んな重鎮弁護士のひとりは、「弁護士の本質は闘争業」が口癖です。その事務所はまさしく「闘う事務所」でしたし、今は鬼籍に入られた、我々世代の弁護士全員が挙って師匠と慕う弁護士にも、「闘う更生会社」という名著があります。

 弁護士の仕事は依頼者の利益の保全、獲得、確保が目的ですが、そのためには利害の対立する者との対立や紛争を乗り越えなくてはなりません。そして利害対立が熾烈であればあるほど、紛争も激烈になります。その紛争に勝ち、依頼者の利益を守るという仕事の目的を完遂するためには、相当の覚悟と情熱を持って骨身を削るしかない。そもそもその覚悟も情熱もない者にはこの仕事はできません。そういう意味では、あくまで言葉のイメージ、印象の問題ですが、「弁護士は闘争業」といっても良いのかもしれません。ただ、逆に、覚悟と情熱だけあっても、方法論を持たないまま闇雲に槍を突き刺しても相手は倒せない。闘争にも戦略が不可欠です。その戦略とは何か、それが今回のテーマです。

 因みに、弁護士の仕事といっても、訴訟などの紛争解決の仕事の他にも、契約交渉に関わる仕事もあります。後者の業務では、一般的には当事者間の紛争が前面に出ることはありません。以下は「紛争解決のための戦略」という観点から読んでくださった方が良いかと思います。

 紛争とは、関係者の利害の対立によって発生する緊張関係またはその状況下での当事者の対立する行動そのものですが、弁護士は、そのような状況下で、依頼者から自己の利益を代弁するように依頼され、依頼者の利益を実現するために働きます。但し、依頼者の利益を実現するといっても、法は自力救済を禁止していますから、依頼者の利益を実現させるために実力行使に及ぶことはできません。依頼者の権利は、裁判所等の司法機関の助力を仰ぎ、その手続を遵守し、その判断を通じて実現を図るしか方法がないことになります。

 従って、「紛争解決のための戦略」とは、とりもなおさず、司法機関における手続下での紛争解決のための戦略ということになります。しかし、そのような手続を利用してもなお、「闘争」であることの本質は変わらず、闘争を勝ち抜くためにはその戦略が必要になります。

 そして、その「戦略」を最も抽象的だが端的に言い得ていると私が思うのが、孫子の兵法「謀攻編」にある、「彼を知り己を知れば百戦殆からず」という言葉です。

 この一文は非常に有名ですが、この孫子の兵法、実はどの一節も非常に秀逸です。この有名な一文に至る前にも珠玉の名文が並びます。少し長くなりますがご紹介します。

「勝を知るに五有り。以て戦う可きと、以て戦う可からざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を知る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞を以て不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ。此の五者は勝を知るの道なり。」

(口語訳)「勝つために重要な点が5点ある。戦うべき時と戦うべきでない時を知る者は勝つ。軍勢の多寡の使い分けを知る者は勝つ。上に立つ者とそれに従う者の利害を共通にできる者は勝つ。周到に準備した上で準備不足の者を迎え撃つ者は勝つ。軍のトップが有能であって、君主が軍を信頼すれば勝つ。この5点が、勝つための道である。」

 素晴らしいですね。特に「上に立つ者とそれに従う者の利害を共通にできる者は勝つ。」などは、闘争だけではなく、あらゆる仕事に共通する勘所です。そしてこれに続けて、上の名文が出てきます。

「故に曰く、彼を知り己を知らば、百戦殆うからず。彼を知らずして己を知らば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。」

(口語訳)「よって、相手を知って自らも知っていれば、百戦戦っても負けることはない。相手を知らず、自らだけを知っているのみであれば、勝敗は所詮五分五分である。相手のことも自らのことも知らないようでは、戦うたびに必ず負ける。」

 本題からは外れますが、以下なども実に含蓄があります。

「上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む。城を攻むるの法は已むを得ざるが為なり。」

(口語訳)「最上の戦い方とは、敵の謀略、策謀を未然に防ぐことである。次善の戦い方とは、敵を孤立させることである。それができないときに初めて敵と交戦すべし。但し、敵の城を攻めるのはまずい。城攻めは、他に方策がない場合にのみ行え。」

「故に、善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも、而も戦うに非るなり。人の城を抜くも、而も攻むるに非るなり。人の国を毀るも、而も久しきに非るなり。必ず全きを以て天下に争う。故に、兵頓れずして、利全うす可し。此れ謀攻の法なり。」

(口語訳)「よって、上手く兵を用いる者は、敵を降伏させるにしても戦闘によってではなく、城を陥落させるにしても城攻めによってではなく、敵国を滅ぼすにしても長期戦によってではない。必ず自国も敵国も、その総てを保持させたまま天下を取る。それ故、兵の疲弊も少なく、戦いによって得るべき利益を全うできる。これが謀攻の法である。」

 究極がこれです。

「孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。」

(口語訳)「孫子が仰るに、およそ兵を用いるにあたっては、敵国をそのままの状態で確保するのが上策であり、敵国を撃ち破るのは次善の策である。」

 あまりに感銘深いので余計な部分も引用してしまいました。今日の本題は、「相手を知って自らも知っていれば、百戦戦っても負けることはない。」という部分でしたね。

 相手を知る、敵を知る、という点は、とにかく相手方当事者と代理人、加えて裁判官について可能な限りの情報収集を怠らない、これに尽きるのですが、実はどんな情報を収集すべきか、突き詰めて言えば、どんな情報が必要なのか、どの観点から情報を集めるのか等々、収集すべき情報の取捨選択の観点にこそ、経験と能力の違いが露骨に顕れてしまいます。

 本稿はノウハウを伝えることが目的ではありませんので、これ以上は書きませんが、この点は、このコラムの第2回目、「『クライアントのために最善を尽くす』ことについて」で書いた、「依頼者が獲得したいと考えている利益とは何なのか、正確に把握する」という点に密接に関連しています。獲得すべき利益が何なのか、正確に把握した上で、そのために必要な情報をピンポイントで収集する、その観点がないと、どんなに時間を労力を費やして膨大な情報を収集しても、結局全く役にも立たないということにもなりかねません。

 そして「自分を知る」ということ、これは前回のテーマの「Throw Water out of Your Bucket」と相通ずるところがあるように思います。自分を知るとは、兵法として端的に言えば、自軍の戦力を知るという点に尽きるとは思いますが、我々の闘争はいわば知的闘争であり、物理的な闘争(戦争ですね)ではありません。戦争であれば、指揮官に必要な情報とは、兵が何万いるのか、どの部隊をどこに配置して、どのタイミングでどう動かすのか、というような点が主眼になるように思いますが、我々にとって「自らを知る」とは、そのような物理的な戦闘力を把握することではありません。知的闘争を有利に進めるために、自分たちの行うべきこと、そのために必要とされる能力を客観的に把握するということです。

 まず前提となるのが、そもそもいかなる目的のためにどんな類型に属する戦いをするのか、その土俵を決めることがまず必要です。そのためには、そもそもクライアントの最善の利益は何か、そのためにどのような手段が採るべきなのか、ということを確定しなくてはなりません。

 そして、目的達成のためにとるべき手段が確定させた後、次に自分のチーム、そして自分自身には何が足りていて何が足りないのか、足りないものはどう補えば良いのか、戦いの前に準備しておくものがあるとすればそれは何か、チームのミスを未然に防ぐために、どのようなスケジュールを組み立てていくのか、等々、自軍の穴を埋めていく作業が必要となります。

 敵軍の戦力の分析は、当方が原告になるのか、それとも被告として攻撃を迎え撃つのかによって変わってきますし、原告となる場合であっても、既に代理人同士でやり取りをしている場合と、どのような弁護士が相手方の代理人として付くのか、全く知らない場合とでその時期、方法が異なってきますが、いずれにしても、相手方弁護士の情報を収集し、その能力や癖をできるだけ把握することが絶対に必要です。

 これら情報収集を行ってもなお勝負は時の運、不利な戦いを強いられることは当然あります。不利な戦況をどのように好転させるか、そのお話はいずれまた。

2023/5/18

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