渡邊・清水法律事務所

第3回 弁護士は「依頼者に寄り添う」べきか

いきなりですが、若い頃から、カッコよくてなんとなく分かったような気になるが、実は何を言っているのかよくわからない言葉が嫌いです。

例えば、昔からよく聞く言葉で「生き様」、震災後やたら使われる「絆」、最近では「思い」など、心地よい響きや雰囲気から好んで使われる言葉、そういう言葉が嫌いですし、自分でも使いません(基本天邪鬼な人間なもので)。そうそう、最近では前首相の決まり文句である「丁寧な説明」、これも嫌いですね。無内容の典型ともいうべき言葉です。

その文脈でやはり嫌いなのが、「寄り添う」という言葉です。これも実に優しそうでドキドキする言葉ですが、よく考えるとその実質は全く分からない。人に寄り添うってどういうことなんでしょうね。物理的に隣にいるという意味ではないことは明らかですが、そうだとすると、精神的に側にいる、ということなのでしょうか。そもそも人間って、そんなことが可能なんでしょうか。私には物事の一面だけ捉えて美化し、その発信者の自己満足を得るためだけの言葉のように思えます。(しかしまあ、つくづく面倒くさい人間ですね。)

さて、私の個人的な好き嫌いはともかく、今回は、先回のコラム「Best for Client」の絡みで、「弁護士は依頼者に寄り添う仕事なのか」ということについて少し書いてみたいと思います。

最近特に「依頼者に寄り添う弁護士でありたい」というようなことを標榜する弁護士が多いのですが、言葉の意味の曖昧さはともかくとして、この言葉は、弁護士と依頼者との関係に関する課題を端的に提示しているように思います。弁護士は依頼者に寄り添うべきなのか、あるいは寄り添って良いのか、そのことについて考えてみたいと思います。

先回のコラム(「Best for Client」について)でも書きましたが、依頼者は、何らかの不利益の解消を求めて弁護士のところにやってきます。但し、弁護士が常に依頼者の要望に応えられるとは限りません。そもそも弁護士は法律家であり、宗教家ではありません。「センセ、アタシ辛いの。センセに心の支えになって欲しいの。助けて。」と言われても、それは無理な相談です。また、法律上可能な救済方法には限りがあります。「先生、悔しいです。取引先のあの社長に頭を下げさせてください。」と言われても、案件によっては謝罪広告を出させることはできるものの、「物理的に頭を下げる」ことを強制することはできません。法律上可能な救済手段は、基本的に経済的回復手段、つまり金銭です。基本、被った不利益は経済的に解決させることしか法律にはできません。

これだけでも、私から言わせれば、弁護士が依頼者に寄り添うなどということは最初から不可能な相談だと思うのですが、更に、仮に依頼者が法律上可能な救済を求めている案件であるとしても、そもそも事実関係に照らしてそのような救済を求めることが可能なのか、或いはそれが可能であるとしても、依頼者が求める解決方法を最大限実現できるのか、逆に他人からクレームを受けている案件であれば、当該クレームを法律上拒否できるのか等の問題について、弁護士は依頼者の希望を全て実現できるわけではありません。(というより、殆どの場合、弁護士は依頼者が思い描いている要望を完全に実現することはできません。)

ここで弁護士の抱える最大の問題が発生します。それは、依頼者の要望が実現できないとき、どのように依頼者の納得を得るか、という問題です。これが非常に難しい。個人的には、弁護士の力量が最も試される場面の一つは、この局面だと思っています。端的に言えば、ここで求められるのはやはり「依頼者の利益を最大限実現するために基本に立ち返って考える」という姿勢です。与えられた情報、事実関係から、利害状況を端的に紐解き、その上で依頼者の利益を実現するためにはどのような事実が必要か、与えられる情報にどのような事実に関する情報が不足しているのか、どこで勝敗が決せられるのか、当方及び相手方にとって決定的に有利・不利な事実は何か、負けないためには何が犠牲になるのか等々を精緻に分析して、簡潔に分かりやすく説明する、それができなければ依頼者は絶対に納得してくれません。そして、このような説明は、案件全体を冷静かつ客観的に俯瞰し、精緻に分析してこそ初めて可能になるのであり、しかも、依頼者の希望が実現できないことを端的に伝える覚悟と強さを持たなければなりません。(因みに、逆に詳細な見通しを全く伝えず、「俺がダメといっているんだからダメなんだ。文句を言うな。」などと言い放って威張っていた一昔前の弁護士も依頼者には寄り添ってはいなかったのでしょうが、そのような過去の遺物が論外なことも当然のことです。)

弁護士と依頼者との間には常にこのような緊張関係が存在します。そして私は、この緊張関係の中で弁護士が果たすべきは「依頼者のために最善を尽くす」ことではあっても、「依頼者に寄り添う」ことでは決してないと思っています。むしろ逆に、依頼者と寄り添わないことにこそ、依頼者の信頼の源泉があるように思います。依頼者の利益の実現のためには、たとえ依頼者の意に沿わないことであっても、臆せずに真摯に理解を得られるように努力する、それが依頼者に向き合うということであり、それは「寄り添う」という言葉で優美に語られることとは全く相反するものではないかと思うのです。

更に付け加えるならば、依頼者を納得させるために必要な資質は、誠実さです。どんな依頼者、どんな案件にも、愚直に、誠実に向き合うこと、それができなければ、どんなに精緻な案件解説ができても、やはり依頼者を納得させることはできません。そういう意味では、弁護士という仕事も結局のところは、その人柄が全て、とも言えるのかもしれません。

2022/6/20

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