
今回も雑談です。
ぼくにもいわゆる座右の銘として生き方の指針となってきた言葉はいくつかありますが、今回は、ぼくが仕事をする上で常に心掛けていること(それを座右の銘というかどうかは分かりませんが)について書いてみます。
それは、「明日できることは今日やるな」というものです。
何を当たり前のことを、と思われる方もおられるでしょうし、逆じゃないか、と思われる方も多いのではないかと思います。むしろ仕事というのは、「今日できることは今日のうちにやってしまう」ことを心がけてするものではないかと。でもこの「明日できることは今日やるな」、弁護士にとっては実はなかなか深い言葉なんです。今回はこの言葉について書いてみます。
ぼくは1987年の4月、森綜合法律事務所(濱田松本法律事務所と合併後、現在の森・濱田松本法律事務所になりました)に入所しました。森・濱田松本(MHM)は今でこそ弁護士数百名を擁する巨大事務所ですが、ほぼ40年前、ぼくが入所したころの森綜合法律事務所は、まだ20人弱の事務所でした。(ただ、その規模で、森綜合は日本最大規模の事務所でした。そして当時から、今の日本の法律事務所のビッグ4のラインナップは不変で、どの事務所の規模も、当時は20人前後であり、それが日本の大手法律事務所の中で最も大きい事務所のサイズでした。まさに今昔物語ですね。)
その森綜合で、ぼくがいたシマの隣のシマ(と言っても、当時の森綜合には個室はなく、シマとシマの間には低いキャビネットがあるだけでしたので、全員の顔が見えるオフィスでした)に、とても優秀な弁護士が座っていました。
彼はぼくより10年先輩でしたが、子供の頃は天文学者になりたかったというその彼は、まさしく数学者のような、桁外れにシャープな頭脳を持ち、寡黙だがそれなりに毒舌家で、言いたいことは言い、人と決して群れないが対立もせず、観察眼は鋭くて話は面白いが、人を傷つけるようなことは決して言ったりやったりしない、というような、正しくぼくの理想とするような人格者でした。朝は毎日決まった時間にオフィスに来て、すぐにコーヒーを淹れに行き、あとは一言も発せずに黙々と一日仕事をこなし、時々窓から空を眺めながら煙草に火をつけ、夕方は毎日5時になるとスッと席を立って帰宅してしまう人でした。毎晩終電がなくなっても尚仕事をすることが当たり前だった事務所の中で、まさしく異彩を放っていました。それを面白く思っていなかった年配の弁護士の一人が、彼が席を立つのを見計らって「おい、頼んでいた調査はどうした」と怒鳴ったのですが、彼は振り返りもせず、「机の上に置いてありますよ」と言い放って帰っていきました。痺れました。
「明日できることは今日やるな」、これはそんな彼がぼくに掛けてくれた言葉です。一年生だったぼくは、とにかく疲れ果てていました。事務所の先輩は皆、ぼくより100倍アタマがいいし、それに比べて自分は、仕事は遅いし根性はないしで、とにかく仕事が終わらない、というより、何をやっても、いつも「こんな出来の書面でいいのか」ということばかり気になってしまって、仕事を手から離すこともできない。そしてさらに疲れて悪循環に陥る、そんな日々を過ごしていました。殆ど登校拒否ならぬ出勤拒否になりかけていました。合議をしていた人生の師匠たる先輩に「おまえなんか死んでしまえ」と怒鳴られたのもこのころです(今なら完全なパワハラですね。苦笑)。
そんなぼくを見かねたのでしょう。ある日の飲み会で彼がぼくに「ねえ、ワタナベくんさあ、仕事ってのはさあ、明日にまわせるものは今日やらなくてもいいんだよ」と言ったのです。それを聞いたときには、その言葉の持つ深い意味が分かりませんでした。なにを当たり前のことを、と思いました。今日が期限の仕事を優先的に片づけていくわけですからね。この言葉の深さを実感するようになったのはそれより少し後、仕事の段取りが少しわかってきたころです。
話が逸れますが、我々の仕事は(恐らくどんな仕事でも本質的には同じだと思いますが)、際限がないのです。なぜなら数学の試験と違って、何をやるにしても、そこには正解がないからです。或いは到達点と言ってもいいかもしれません。しかもそのハードルは、仕事の質を上げようと思えば思うほど高くなる。ですから、例えば仕事の質を点数で例えると、90点のクオリティの仕事を95点のクオリティまで引き上げるためには、それまでの何倍もの労力と時間をかけなければなりません。そして、正解がない仕事であるがゆえに、仕事のクオリティが95点になっても、なお本質的には満足できない。まだ検討しなければならないことがいくらでも見つかるのです。しかし、そうやって仕事の区切りを見つけられず、延々とひとつのことに関わっていく、そんなことを繰り返していると、最終的には睡眠不足で病気になってしまいます。
我々の同業者でも、仕事の質にムラのある人がときどきいます。頑張るときは何日も徹夜して頑張るのですが、体力が続かない、なので、体調を崩す。そうすると、次の仕事に身が入らない。いきおい仕事の質が下がる、そういうサイクルに陥ってしまう人がいるのです。
で、「明日できることは今日やるな」です。
これをぼくなりに解釈すると、「帰る勇気を持て」ということになります。
この仕事は際限ない、終わりが見えない、トップクオリティを目指せば目指すほど、かける労力と時間は、二次関数的に増えていく、従って、どこで区切るか、要するにどこまでやったら満足してウチに帰って寝るか、それを自分で決めなければならない、「明日できることは今日やらない」というのは、その「どこまでやったらウチに帰るか」の基準として「それは明日できることなのか、今日中にやらなければならないことなのか」という基準を立てろ、ということであり、その結果として、「明日できることは明日に回して今日は帰る」ということなのです。
要するに、我々は本能的にトップクオリティを求めにいってしまう、そうすると必然的に帰れなくなる、なので「帰る勇気」を持たないと、いつまでもオフィスに留まって仕事をすることになってしまう、それではダメだ、なので、帰るための、分かりやすい、自分なりの基準を持つ、それが「明日できることは今日やるな」、だというわけです。
ぼくはこの言葉を聞いて以来、毎日、明日できることは今日はやらない、を心にとめて仕事してきました。というわけで、この言葉、弁護士の仕事の本質をなかなか見事に突いていて、実は本当に深いのです。
さてここからは余談。
「明日できることは今日やるな」、ですが、これを貫徹するためには、その前提として、「今日やるべきことが何か、明確になっていて、それがすべて終わっている」ことが必要不可欠です。実はこれが結構難しい。「今日やるべきことが今日中にすべて終わって帰ることができる」を実現するためには、それなりのノウハウがあります。それを以下、書いてみます。
1.朝仕事を始める前に、今日終えるべき仕事を総て頭の中でリスト化する。
2.それぞれの仕事のプライオリティを明確にする(最悪、終わらなかったら明日に回せるものと回せないものの区別をつける)。
3.それぞれの仕事に要する時間がどれくらいか、一日のスケジュールの中でどの仕事をどの時間帯に処理するか、大体の目安を持つ。
(これはオプションですが)
4.予定通りに処理できなかった場合のバックアップの目途をつける(他人に頼む場合も含む)。
だいたいこんなところでしょうか。ぼくも歳を取って、昔のように、1時間以内に3つのタスクを同時に仕上げなければならないというような切羽詰まった状況に置かれることはなくなりました。もう昔のような仕事のやり方はできませんが、時々妙に懐かしくなるのも事実です。
今回は仕事の上での座右の銘について書いてみました。
座右の銘は他にもあります。人生で一番大切にしているのが、正法眼蔵随聞記の中の「この心あながちに切なるもの、遂げずといふ事なきなり」という一節です。これについてはまた別の機会に。
6/1/26