渡邊・清水法律事務所

第14回 本物は普通で無駄がない

 「本当にいいものは何でもないような普通の顔をしていて無駄がない」

 ぼくの敬愛するフレンチチェフ、斉須政男氏の言葉です(斉須政男著「十皿の料理」から)。

 料理は食べるのも作るのも好きですが、色々な店に行き、つくづく思うのは、「料理は人柄」だということです。食べログの評価がどんなに高くとも、どんなに予約が取れなくとも、自己主張が強烈で、ハッタリのかたまりのような料理を作る料理人は、話してみるとやはりそういう人であることが多いですし、二度と行きたいと思わない。逆に派手さはないけれど、滋味溢れる皿、しみじみと美味しいと思える料理を出す料理人は、実際にそんな人ばかりです。この斉須シェフの料理も、皿の上の景色は本当に普通で、ホワイトアスパラなど、茹でた太いホワイアスパラが、どーん、と二本、皿の上に載っているだけなのです。その他には何もない。でもこれが本当に、何物にも代え難く美味しい。
(完全に話が横道に逸れますが、二年ほど前に、都内で最も予約の取りづらいことで有名な鮨屋に、その店の常連さんに連れて行ってもらったことがあります。鮨は確かに美味しかった。でも、握りが出るたびに、カウンターの客が全員、揃いも揃って「旨い!流石○○さん、凄い!」と口々に礼賛しているのを聞いて、こりゃまさしく新興宗教だと思いました。新興宗教の教祖様に会いに行く気はないので二度と行きません。)
 
 話を戻します。
 「本物は普通」、これが弁護士の仕事とどう結びつくのかとお思いでしょう。 
 話が更に脱線しますが、既に鬼籍に入ったぼくの師匠の言葉をご紹介します。

 「世の中には三種類の弁護士がいる。簡単なことを難しく説明することしかできない奴。これをバカな弁護士という。難しいことを難しく説明する奴もいる。これを普通の弁護士という。難しいことを誰にでもわかるように簡単に説明できる奴は滅多にいないが稀にいる。これを優秀な弁護士という。」(しかし名言ですね。これ。)

 ぼくが今回のコラムで申し上げたいのは、この師匠の言葉の「普通の弁護士」になれ、ということではなく、「難しいことを簡単に説明できる優秀な弁護士」にはどうしたらなれるのか、ということです。念のためお伝えしておきますが、ぼくはそういう「優秀な弁護士」ではありません。「優秀な弁護士」になるために必死に努力してきた、そしてこれからも努力し続けようと思っている弁護士です。今回は、ぼくがどう努力しているのか、を少しご紹介しようと思います。冒頭の斉須シェフの言葉に師匠の言葉を絡ませて言うと、「本物の弁護士は、難しいことを誰にでもわかるように普通の言葉、無駄のない言葉で説明できる」ということであり、そういう弁護士になるためには何が必要なのか、ぼくなりの考えをご紹介したい、というのが今回のコラムの目的です。

 結論は、「優秀な弁護士になる道に王道なし」、これに尽きます。
 なんだよ、ふざけるな、とお思いでしょう。でも本当に、優秀な弁護士になるための方策など何もないのだから仕方ありません。

 ただ、講演会でも研修でもセミナーでも、或いは大学の講義でも、はたまた家庭教師でも、人に何かを解説する、或いは教える立場になったことのある方であればご納得頂けるとは思うのですが、人にものを教えるときには、まさにその教える時間の何十倍もの時間を準備に費やさない限り、満足に教えることなど到底できません。なぜなら、人は簡単に「わかった気になる」からです。わかった気になった程度の理解だと、それを人に教えようとしたときに初めて、「自分は何もわかっていなかった」ということが分かります。総てはそこからです。人に何かを教えるときは、教えようとしている対象は一体何なのか、問題点は何なのか、そしてなぜそれが問題となるのか、どういう筋道で考えていったら解決できるのか、それらの点総てを完全に理解し、自分の言葉とロジックで再構築しなければなりません。逆にそこまでできれば、どんなに難しいことも簡単に説明することができるようになっているはずです。難しいことをなお難しくしか説明できないレベルの理解とは、要するに自分のロジック、自分の言葉で説明できるまでにはその問題について理解していないだけのことだと私は思っています。

 要するに「難しいことを簡単に説明する」ことを可能にするのは、その問題について自分のロジック、自分の言葉で説明できるまで愚直に考え続ける以外になく、だからこそ「王道はない」のです。
 そうは言っても何かコツはないのか、と思われる方もおられるでしょうね。

 ありません。笑
 但し、ぼくが心がけていることはあります。それは「第7回 仕事の流儀(その2)― Throw Water out of Your Bucket」でご紹介した、「俯瞰」を心がけるということです。それによって複雑な問題の共通項が見えてきたり、逆に相互に関連していたと思われていた複数の問題の違いが明らかになるなど、問題点の整理に役立つことが多いように思います。また、対象を俯瞰することによって、その対象を難しくしているポイントが何なのかも同時に見えてくることもあります。それが「他人を説得すること」の第一歩です。

 話はまた脱線しますが、世の中には「優秀な弁護士」は沢山います。ぼくがこれまであった弁護士の中にも、本当にこの人は優秀だなあ、と感銘を受ける人も、自分の師匠も含めて何人もいました。その人たちの共通の資質というものがあるように思います。
 それは、最初の斉須シェフの言葉にある「普通の顔をしていて無駄がない」ということです。ぼくなりの解釈をすると、一つは「いつも同じ」ということ、そして「ハッタリが一切ない」ということです。少し説明します。

 まず「いつも同じ」ということ。
 これはなかなかできません。特にパニックになると性格が豹変する人は本当に多い。「第9回 これから留学する人たちへ」で、「優秀な弁護士に求められる資質は日米で全く同じであることを実感できた」と書きましたが、ぼくがシカゴで勤務した事務所のチェアマン(ぼくのアメリカの師匠です)は、日本のぼくの師匠と仕事の進め方も人柄も全く同じでした。徹底した事実調査と議論の上で緻密に案件を進める一方、人間を人種、性別、年齢で全く分け隔てをしないフラットでフェアな人柄の、豪放磊落な人でした。彼はまさに難しいことを簡単に説明することを地で行く人で、事務所の総ての弁護士にそれを求めました。

 訴訟弁護士であった彼は、常に法律の素人である陪審員を説得することを頭に置いて議論を組み立てる、その習慣がそうさせるのでしょう、特許侵害訴訟などで難解な技術論を必要とする弁論に備える合議などでは、特許弁護士の説明を聞きながら、「ダメだダメだ、お前はバカか。そんな難しいこと言ったって、誰にもわからん。オレのおふくろが聞いてもわかるように説明しろ。」と言って怒っていました。
 そんな彼がよく口にした言葉が、「Don’t panic」、日本的に言うと「ガタガタすんじゃねえよ」という感じでしょうか。訴訟などをしていると、全く想定しない方向に案件が進んでいくこともある、そういった時、我々のような若手は、皆で「どうしよう、どうしよう」と慌てたものです。そんなときの彼の口癖が「Don’t panic」、そして彼はその言葉のとおり、常に泰然自若として、冷静に案件の趨勢を分析していました。「いつも同じ」には諸々の意味がありますが、どんな状況にも慌てず騒がず、常に冷静にいること、そして誰に対しても常に同じであること、ぼくは日米の師匠から、この二つが優秀な人の取るべき態度であることを学びました。

 優秀な人たちに共通するもう一つの資質が、「ハッタリが一切ない」ということです。これは、「ハッタリがない人が優秀」ということではなく、「優秀な人はハッタリをかます必要がない」と言った方が良いでしょうか。つまり「難しいことを簡単に説明できるほど考え抜く」ことを習慣にして、結果的にそのような評価を得た人は、自分の能力についてハッタリをかます必要など全くない、ということですね。
 ここでのポイントは「努力」です。一部の天才を除いて、人間の能力には人によってそれほど大きな差はない。総ては努力の産物です。そして努力が習慣になっている人は、斉須シェフのホワイトアスパラのように、普通の顔をしてさりげなくそこにいるだけでよいということなのだと思います。

 ぼくももういい加減歳を取りましたが、情けないことに、まだまださりげない本物への道は遠い。でもさらに努力して、いずれは斉須シェフのホワイトアスパラのような存在になりたいと思っております。

 最後にとても良い話をひとつ。
 先程話したアメリカのぼくの師匠、彼も既に鬼籍に入ってしまいましたが、その直前、彼と電話で話したとき、彼から唐突にこう聞かれました。
「ハジメ、きみは母上に毎日電話してるか?」
半ばうろたえて、「いやー、とても毎日電話している時間はありません。」と答えると、彼はこういいました。
「わかった。お前がその歳になっても優秀な弁護士になれないのはそのせいだ。」
 自分の母親に毎日電話するような、常に周りの人を大切にする普通の常識人でなければ、優秀な弁護士になどなれるはずがないという彼の教えでした。
 身に沁みました。

2024/06/10

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