渡邊・清水法律事務所

第10回 抽象化という作業について

 このコラムも10回目になりました。

 渡邊・清水法律事務所を開設して20か月になるので、ちょうど2か月に一回のペースで更新していることになります。我ながらまずまずのペースだと思います。頑張っています。笑

 10回目の今回は、「抽象化」がテーマです。

 「抽象化」がテーマと聞かれて、皆さんはどのような議論を想像されるでしょうか。実はこのテーマは「想像力」と深く絡んでいます。

 これまでこのコラムでは、私が弁護士に必要だと思っている能力についてあれこれ書いてきましたが、「問題の抽象化」もまた、弁護士に最も求められる能力の一つだと思っています。そして、その「目前の問題の抽象化」を行うために必要なのが「想像力」です。

 分かりやすい例を挙げましょう。依頼者である会社から、今回行おうとしている取引のための契約書をチェックする依頼を受けたとします。弁護士としては、会社からその取引の概要についての説明を求め、依頼会社として達成したい目標、契約にあたって会社として留意している事項などを聞き取ります。そして会社の要望に沿って契約書をチェックするわけですが、チェックにあたりまず考えるべき点が、どのような条項をどのような観点からチェックすればよいのか、という点です。

 真っ先に思い浮かぶのが、依頼会社から「会社としては、これこれの目的を達成するためにこれこれの条項を作成しました。この条項で目的が達せられるかチェックをお願いします」と言われた条項です。それらの条項が会社の目的を達成する内容になっているのかをチェックすることがまず必要となります。ただ、チェックしてくれと要請された条項のみをチェックしても、それだけでは足りないことは誰でもわかります。会社が達成しようとしている目的のために必要な条項は必要十分に揃っているか、逆に目的を阻害するリスクのある条項はないかを、より広い視点で検討することが必要となります。更には、会社が留意している点だけではなく、会社のリクエストにあった目的と全く同一ではないが、同趣旨の目的にまでリクエストを広く捉え、より拡張させた同種目的を達成するため、その契約書案全体を観て、抜けはないか、落とし穴はないか、会社の利益を損なう条項はないか、あるいはより会社に有益な契約案にするためにはどうしたらよいか、などの観点から契約書を観ていくことになるわけですが、そこで必要な作業が、「会社の要請の抽象化」であり、それを可能にする能力が「想像力」ということになります。

 つまり、会社の要請が「目的Aの達成のために作成した条項X」のチェックだった時に「条項X」のチェックのみではなく、会社の目的をより抽象化し、上位概念としての「目的A’」を見出し、当該「目的A’」達成のために必要な「条項Y」のチェックまでを行う、それが「問題の抽象化」であり、「目的A」を「目的A’」まで抽象化することを可能にするのが、会社のリクエストから「目的A’」を見出す想像力、ということになります。

 別の具体例でお話しします。

 企業の法務部などにおられる方はよくお分かりだと思いますが、例えば法務部で契約書のチェックなどを行う場合に備え、大抵の会社ではマニュアルとしてのチェックリストをお持ちです。法律事務所でも、私が弁護士になった頃などは、どの事務所でもそのようなマニュアルはほとんど持っていなかったのですが、今では、かつて私が所属していたような大規模事務所はもとより、より規模の小さい多くの事務所がそのようなマニュアルを作成する時代になりました。

 ただ、そのようなマニュアル、チェックリストは、最低限この点をチェックしないとそもそも目的を達成しないという最低限度の必要条件をリスト化したものであって、そこに記載してある点だけをチェックすれば事足りる、という十分条件をリスト化したものではありません。ですから、マニュアルに従い、チェックリストに記載されている点だけをチェックしても仕事の完成にはなりません。

 では、チェックリストに挙げられていないどのような点をチェックすればよいのか、それを発見するのが「抽象化」という作業であり、それを可能にする能力が「想像力」ということになります。

 どういうことか、上のチェックリストを例に取りましょう。例えば売買契約のチェックリストに「代金支払条件として『○○○○』と規定されているか」という記載があったとします。このチェックリストに従い、まず行うべき作業は、そこに指示された「○○○○」という条項があるかどうかです。ただ、「代金支払条件」としてチェックすべき条項はそれだけではないはずですよね。そうだとすると、どのような観点で、どのような条項の有無やその内容をチェックすればよいのか。それに必要なのが、当該チェック事項の「抽象化」という作業であり、それを可能にするのが「想像力」なのです。

 要するに、目前の問題を抽象化してその本質を抽出し、抽出された本質部分を再度敷衍して、そのチェック事項の目的を達成するために必要な条項を発見してチェックし、修正する、そういう作業ができないと、我々は仕事の目的を達成することはできません。そして、このような作業を可能にする能力が、所与の状況で起こり得る事象を想像する力であるということになります。そして、この「想像力」という能力は、誰しも天賦の能力として身に付けているわけではありません。IQの問題でもなければ、地頭の問題でもありません(「地頭」の定義はともかく)。それはひとえに「知見」の結果であり、この「知見」は「鍛錬と経験」でしか身に付きません。我々の仕事は、ひたすら「鍛錬と経験」を重ねることで、この「想像力」を磨く作業をしているのかもしれません。

 実は最近、この「抽象化」の重要性を再認識する出来事がありました。

 ある会社のコンプライアンス体制再構築のお手伝いをしていました。その会社では全社を挙げてコンプライアンス体制の構築に努め、専門セクションも立ち上げているのですが、なかなかその成果が上がらない、それは何故なのか、会社トップは原因がわからず、呻吟しておられました。お話をよく聞いてみると、専門セクションに異動された皆さんが、チェックリストに挙げられている事項しかチェックしていない実態が見えてきました。それはその方々の熱意がないからではなく、「抽象化」という作業こそが重要であるという発想を教えられておらず、且つ、「抽象化」という作業を行うために、リスクがどこにあるかということを想像する能力が必要であるということも、その能力を備え、磨く機会も与えられていなかったことに原因がありました。

 ここからわかる通り、「抽象化」という作業は、弁護士という仕事だけに必要なものではなく、須らくどのような仕事にも妥当すると思います。更に言うと、人が仕事に対する情熱を失ったときに、最初に放棄するのが「想像力を働かせる」ということなのだと思います。想像力を働かせることを放棄した時、人は単純作業しか行わなくなり、例えば先程の契約書チェックにあたっては、チェックリストに挙げられている事項を機械的にチェックして業務を終了させます。

 組織論的に言えば、組織に所属するすべての人が想像力を働かせて仕事をしている組織を創らない限り、生産性の高い組織にはならないでしょうし、自分のこととして考えれば、目前の仕事に対して常に想像力を働かせるモチベーションを保ち続けるために常に努力していなければならない、ということになるのだと思います。

 残念ながら、人間歳を取ると知力も感情も硬直化し、想像力も創造力も加速度的に失われていきます。それは仕事においてはまさしく致命的です。歳をとること自体には抗えませんが、抽象化という作業のための想像力は喪失しないよう、これからも日々鍛錬していきたいと思っております。

2023/08/16

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